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東京高等裁判所 昭和48年(ネ)2643号 判決 1974年5月29日

控訴人 佐藤貞夫

右訴訟代理人弁護士 下山田行雄

同 岡部琢郎

同 長瀬厚一郎

被控訴人 小田切石油株式会社

右代表者清算人 小田切猛

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取り消す。本件手形判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一および第二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴会社代表者は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張および証拠の関係は、左記一および二のとおり付加するほかは原判決書事実らんに記載されているのと同じであるから、これを引用する。

一、控訴人の主張

(一)(1)  本件手形は、控訴人が手形帳に綴られた支払地および支払場所のみが記載されていた手形用紙の振出地、住所および振出人らんに控訴人の住所氏名印を押したうえ、その名下および控(耳)との間の切取線上にそれぞれ自己の印章を押しただけでその他の手形要件を白地とし、収入印紙も貼用しないままこれを控訴人方事務所の机の引出内に収納しておいたものであるところ、昭和四七年三月ころ何びとかによって盗収されたものである。

(2)  控訴人が右のように本件手形用紙の振出人らんに控訴人の記名押印をしておいたのは、将来手形振出の際少しでもその作成の手を省く便宜のためにしたものであって、いわば手形振出の予備行為にすぎないのであるから、控訴人としては、この段階において、主観的にはもちろんのこと、客観的にも同手形を流通におく意思は全く有しなかったし、また、これを流通においたものともいえないのである。

(3)  右の次第であるから、控訴人において本件手形を振り出したものとはいえず、したがって、振出人としての責任を負うべきいわれはない。

(二)  また、以上のような事情であるから、控訴人としては、右手形の白地部分につきその補充権を何びとにも授与したことはないのであり、したがって、何びとかによって勝手にその白地部分が補充された本件手形につきその文言どおりの責任を負担すべき理由はない。

二、証拠の関係≪省略≫

理由

一、被控訴人が控訴人の振り出にかかるものと主張する本件問題の手形(本件手形という。―甲第一号証の一、二―の記載)それ自体、≪証拠省略≫によれば、被控訴人が、その主張の手形要件の記載のある控訴人振出名義の本件手形をその受取名義人である山崎正から裏書譲渡を受けて、満期にこれを支払場所に呈示したが、その支払を拒絶されて現にこれを所持している事実が認められ、他にこの認定に反する証拠はない。

二、そこで、控訴人が本件手形を振り出したものであるかどうかについて判断する。

(一)  本件手形の記載それ自体、手形番号が符号することから本件手形の控(耳)であると認める乙第一号証の一に手形の控として重要な手形金額、満期の記載がないこと、≪証拠省略≫を総合すると、当審における控訴人の主張(一)(1)の事実および本件手形がその後昭和四七年一二月一〇日ころ山内一枝によってその白地部分が被控訴人主張の記載のとおり補充されて(かつ、収入印紙が貼用されて山内一枝の印章により消印された。)山崎正に譲渡され、ついで前記のとおり被控訴人に裏書譲渡されるにいたったことが認められ、他にこの認定を動かすのに足りる証拠はない。

(二)  ところで、≪証拠省略≫によると、控訴人は、肩書住所地に事務所をおいて土木事業を営んでおり、その事業のため月に約一〇通、一通の手形金額が多くとも一〇〇万円前後の手形を振り出していた者であるが、同人が右のとおり(手形帳に綴られた他の少くとも数通の手形と同様に)本件手形の振出人らんに自己の記名押印をしただけでこれを事務所の引出内に収納しておいたのは、右事業上必要とされる将来の手形作成に備え、その際における手形完成の手を少しでも省く便宜のためにしたものであることが認められ、さらに前出乙第一号証の一に原審証人佐藤イツ子の証言を合わせると、同女は、控訴人の妻で、控訴人方事務所の一部屋隔てた隣において理容業を開いていたものの、当時(右手形署名当時)控訴人方では事務員を使っていなかったことなどから控訴人の事業上の書類の整理等の仕事の手伝をしていたこと、当時同女は、控訴人から指示されて手形を作成し、あるいは控訴人が作成した手形をその指示にしたがって他に手渡し、手形振出後の手形帳の収納、同手形控(耳)の整理点検などをして来ており、当時控訴人は、悪筆を恥じて字を書くことを好まなかったので、月に一〇通前後の手形が振り出されていたのに、その際もみずから手形に字を書くようなことはほとんどない有様であったことおよび当時控訴人方では、手形帳に綴られていた手形の控(耳)には振出の都度所要事項が記載されていたのにかかわらず、本件手形の控についてはその記載がなく白地のままであったが、控訴人としては、そのことに気付かず、昭和四八年一月頃妻のイツ子が前記のとおり手形控(耳)の整理中に右白地のままの控を発見した事実が認められるので、これらの事実関係からすると、当時控訴人としては、必要に応じて随時妻イツ子に対し右事業上の必要書類の作成整理、さらには手形の作成、手形による支払等の事務を扱かわせていたことが推認できる(≪証拠省略≫中、控訴人不在の場合に妻イツ子に手形の作成、手形による支払等をさせたことはない趣旨の供述部分は、前記証人の証言にてらし採用できない。)。

以上認定したところから考えると、控訴人が右のように本件手形をふくむ手形帳に綴られた少くとも数通の手形用紙の各振出人らんにそれぞれ振出人として自己の記名押印をして、みずからこれを事務所の机の引出内に収納し、または妻イツ子に同様にして収納させておいたのは、控訴人において決済を必要とする前記事業上の債務について、控訴人不在の場合には、いつでも妻イツ子の手で前記通数、金額の範囲内でその白地部分を補充してこれを右債務支払の手段に供することができるようにしたのであって、ひっきょうこれによって、右程度の通数、金額の手形を、白地部分の補充を後にすることにして、妻による等時宜に応じてそのまま取引社会におく意図であったこと、すなわちすでに流通においたのと同視すべきものとするのが相当である。

そして、本件手形が右認定の通数、金額の範囲を出るものでなかったことは以上認定の事情からも自明のことであるから、結局、控訴人においてこれを流通におき、それによってこれを振り出したものといわざるを得ないのであり、したがって、そうである以上、その後これが第三者によって盗取せられるにいたったにせよ、控訴人としては、他に特別の事情がないかぎり本件手形につき振出人としての責任を免れ得ないものといわなければならない。

三、そこで、特別事情の一として考えられる白地補充権の授与の有無について判断する。

控訴人において結局本件手形を振り出したものといわざるを得ないことは以上のとおりであって、前記認定事実からすれば、控訴人としては、とくに白地部分の補充を留保する等特別の事情の認められない本件においては、前記程度の通数、金額を超えていない本件手形について、金額その他の白地部分につき、みずからこれを補充し、あるいは第三者にその補充権を与える趣旨であったものと推認するのが相当であるから、控訴人の右主張は採用できない。

四、さらに、前記特別事情に属する悪意の抗弁について判断する。

本件手形に貼用された収入印紙に押された消印の印影が同手形の振出人らんに押された控訴人の署名印の印影と異ることおよび本件手形金額が端数のない金一〇〇万円であることは前出甲第一号証の一自体に徴してこれを認めることができるが、手形貼用印紙の消印が振出人名下の印影と同一である必要はないし、手形金額が、たとえ通常の取引手形でも端数を伴わないことの多いことは公知の事実であるから、以上の二点だけから、被控訴人が本件手形取得当時控訴人主張の事実を知っていたものと推そくすることはできず、かえって、≪証拠省略≫によれば、本件手形は、被控訴人が山崎正との間で継続的に取引をしていた通常の取引過程において同人に対する軽油販売代金支払のために同人から裏書譲渡を受けたものであることが認められ、この事実関係からすれば、被控訴人としては、むしろ、右の際、前記のような事情は知らなかったものと推認されるのである。

五、そうすると、他に特別事情もないので、控訴人は振出人として被控訴人に対して本件手形金一〇〇万円とこれに対する被控訴人の求める満期後の昭和四八年二月二一日から支払ずみまでの手形法所定の年六分の割合による利息を支払う義務があるものといわなければならないから、この義務の履行を求める被控訴人の請求は正当としてこれを認容すべく、したがって、これを認容した本件手形判決は相当である。

六、よって、本件手形判決を認可した原判決は相当であって、本件控訴は理由がないのでこれを棄却することとし、控訴費用の負担について民事訴訟法第九五条および第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 畔上英治 判事 上野正秋 唐松寛)

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